「出過ぎたマネをしない」が絶対の日本人
「面の皮が厚い」とか「厚顔無恥」という慣用表現が、日本にはある。「ずうずうしい」とか「あつかましい」という意味だ。日本では、「面の皮が厚い」のは敬遠される。逆にいえば、顔は「薄い」ほうが好まれるのである。
「薄氷を踏む思い」という言い回しがある。薄氷のもろさ、あやうさによって、あぶなっかしい感じを譬えたものだ。「薄氷」の脆弱性は、その上にかかる重みにたいする感受性の強さに由来する。それと同じように、顔が「薄い」ということは、顔のセンシビリティが高いということである。
つまり、日本では、「鉄面皮」はきらわれ、顔の「薄さ」ゆえの敏感な感受性、可傷性(傷つきやすさ)こそが尊ばれるということだ。他者たちのまなざしにたいして、すぐれて敏感な反応性をたもち、「雰囲気」に順応し、「出過ぎたマネ」を自省させる高度な〝センサー〟が顔なのだ。
伊達マスクすら流行る日本の不思議さ
私は、過去に二度「マスク現象」に言及する記事を書いた。ひとつは、いわゆる「コロナ自粛」を強迫的に強制する集団の論理に関して、もうひとつは、マスク着用が集団の成員すべてに波及したのち、彼らが今度はその呪縛から離脱する際に経由する集団の論理に関して、である。
しかし、私が触れていなかったことがあった。それは、日本人のマスクにたいする親和性の高さである。そもそも、コロナ禍以前から、日本人は、マスクを装着することに抵抗を感じなかったどころか、それは、飛沫感染の防止やエチケットといった「予防医学」的な観点から積極的に推奨された。のみならず、インフルエンザや風邪の流行期、あるいは花粉症対策とは無関係に、「伊達(だて)マスク」をしている者すらいた。
なぜ、日本人は、マスクをすることに抵抗を感じないのか? それどころかある種の居心地のよさすら感じてしまうのか?
全文はソースで
https://news.yahoo.co.jp/articles/501ebfd3d84bf673a5288349e223f4c35a44dd90
★1 2023/06/12(月) 20:11:05.95
前スレ
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1686574210/
哲学やっていい人格じゃないね
哲学を研究しているだけで、たぶん自分では哲学していない(哲学的思考を身につけていない)と思うよ
フランスの大哲学者()の言っていたことを日本の現状に当てはめるとこうです!ってだけなんだよな
日本の文系は外人の訳本を出してファンクラブ作るのが仕事だし。
議論なんてしないし中身はどうでもいい。
公共空間におけるマスクは、
この公共性の外に身を置く者のしるし、
つまり犯罪を匂わす〝スティグマ〟(恥)と
>受け取られかねないのだ。
マスク一つで何を大袈裟なw
犯罪を匂わすスティグマ?
サングラスも同じだろうとツッコミされることは微塵も感じなかったんだろうな
マスクしてる方が合理的と思う人はいる
>>1の記者が反ワク反マスク
すぐ,外国がどうのこうの言い出す・・・・
マスクをし始めてから、風邪を引かなくなった。
なんだかんだ、風邪って感染が原因だったってわけだ。
だから、今のマスク文化は快適なのよ。
すごいな
マスクで自分が守れると思ってんだ
他人がマスクをしてくれてたから
お前が守られてただけだぞ
家族がインフルになって看病したの俺だったけど、マスク+除菌ティッシュでまったくうつらず(感染した本人はマスクなし)
2020年初頭にひでえ風邪ひいたけど、家族はマスク対応(この時は感染者である自分もしてた)で誰にもうつらず
マスクの効果は経験として信じてるよ、ノーガードよりは100倍マシってな
カビ頭痛持ちなので、この時期は手放せない
家の中でマスクやってんのか
かわいそうに
外では外せるから良かったね
自分はマスクしてたほうが楽だし💢
ほっといてくれよ!
ただし店員に話しかける時はマスクした
ごったがえしたレジではマスクした けど会計終えたら外出る前に即外した
つけたり外したりが面倒だから付けっ放し
という人も多いだろうね
引用元: ・未だマスクやめない日本の末路…フランス哲学者が憂う「日本人のもろいメンタリティー」国民に根付く悲しい忖度文化 ★3 [首都圏の虎★]